落雷失明損賠訴訟:逆転勝訴 12年の闘い「認められた」 父に「勝訴」間に合わず
◇目、言葉に重い障害 自ら「ありがとう」
「ありがとうございました」。多くのフラッシュを浴びながら、北村光寿さん(28)=高知市=は力を振り絞って声を張り上げた。高松高裁で17日に開かれた、落雷事故を巡る損害賠償訴訟の差し戻し控訴審。うつむいて逆転勝訴判決に聴き入った光寿さんは、弁護士から「君の闘いが認められたんだ」と肩をたたかれ、ようやく笑みをこぼした。【三上健太郎、矢島弓枝】
判決後の記者会見で感想を求められた光寿さんは、約10分間、考えながらパソコンのキーボードをたたいた。「支援してくれた人たちや、真実をありのまま報道してくれたマスコミの人たちのおかげで今日の日を迎えることができました」。兄英和さん(31)が代読する。その直後、光寿さんが自らお礼の言葉を述べた。「人前であんな大きな声が出せるなんて」。弁護団も感慨深げだった。
落雷に遭ったのは私立土佐高サッカー部員だった16歳の時。大阪府高槻市で開かれたサッカー大会で、目と手足、言葉にも重い障害が残った。99年春、同級生は卒業したのに、1年生のままだった光寿さんは「在籍期間が長い」という理由で除籍処分になった。精神的に不安定になったが、障害のある人らとの交流で明るさを取り戻した。
04年春、高知県立盲学校に入学。リハビリに励み、言葉も出るようになった。高等部3年の今、「社会に役立つことがしたい」と将来の夢を語る。
長かった12年。昨年9月には、裁判で頑張る母みずほさん(56)を支えた父和満さんが55歳で亡くなった。最高裁判決を聞いたものの、「勝訴」の知らせは間に合わなかった。みずほさんは「事故の責任を明らかにしたいというのが夫の願い。喜んでくれていると思う」と涙ぐみ、「学校も高槻市体育協会も真摯(しんし)に反省し、謝罪してほしい」と願った。
◇現場教諭の責任、一層重く
落雷訴訟で学校側の安全配慮義務違反を認めた高松高裁判決が確定した場合、課外活動や行事を実施すべきか判断する、現場教諭の責任は一層重くなる。
大阪大大学院の小野田正利教授(教育制度学)は「判決を機に正しい知識の普及が期待できる」とプラス面の影響を挙げる一方、負担増にも言及。科学的知識を身に着け、屋外では天気予報に常に気を配る必要があるとなれば「部活動の顧問のなり手が減るなど、萎縮(いしゅく)につながる面は否めない」と懸念する。
落雷への適切な対処法は、一般の教諭にどれだけ浸透しているのだろうか。鹿屋体育大の宮田和信教授(スポーツ文化人類学)は「対処法を知らなかったのは、今回の先生だけではないだろう」と指摘する。厳しい判決とも言えるが、宮田教授は「責任が問われなければ『先生は勉強しなくてもいい』という誤ったメッセージを発信することになる」と話し、判決が教諭の自覚を促すことを期待する。
香川県内の高校で野球部長を務める男性教諭(41)は「つらい」と正直な気持ちを漏らし、「専門家ではない教諭が落雷を予見するのは難しい。でもゲリラ豪雨など異常気象が頻発する中、学校側も安全対策を勉強し直さなければ」と言う。判決を現場の糧とするためには、研修制度の充実など教諭をサポートする態勢が不可欠だ。【大久保昂、中村好見】
毎日新聞 2008年9月18日 大阪朝刊
いろんなスポーツクラブで、多くの人がその指導やサポートに従事している。
私もそのひとりであるので、この事件と判決には大いに関心があった。
野球やサッカー、そしてラグビーなど地域のスポーツクラブでは、まさに手弁当でボランティアとしてその指導に携わってる人も多いはずだ。
学校ではないから、専門的に学校でスポーツ学や体育的な指導方法を学んできた人も少ない。
なので、とくにラグビーは危険を伴うスポーツであるので、ラグビー協会も安全対策の講習会を開催してくれたり、チームで数人の受講を義務付けている。
ただ、すべての指導者に怪我の対処や、安全対策を徹底させるのは現実的に難しい。それでも指導に関わる以上は、きちんと安全対策について勉強を続けなければならない。対策を怠って、事が起きてからでは遅いのだ。
と、自分も不幸な事件が起こらないように、しっかり勉強しておかなければと思い直すきっかけになった。
落雷に関しては、県内での認識は一致している。雷鳴が聞こえれば、グランドでの活動は即中止する。
実際、そういうシーンにめぐり合う機会は年に1、2回ある。